転機と決断
幼少期から感じていたことや、SASIに入社するまでの話など。人生の転機や今後取り組みたいことについて伺いました。
今回は、SASIでデザイナーとして働く 石本和也 のルーツを探るインタビューです。
────和也さんはどのような幼少時代を過ごしましたか?
小学校5年生まで大阪府の堺市にある泉ヶ丘というところで育ちました。大阪の南の方で、結構田舎でしたね。
幼い頃はやんちゃで目立ちたがり屋だった記憶があります。幼稚園の時だと、発表会で花形とされる役をしたりとか…1人で2役とかしたりしていましたね(笑)小学生の頃もそんな感じでした。みんな恥ずかしがってモゴモゴ話すけど、僕は感情を込めてやってましたね。でも今思い返せば、ずっとそんな感じです。高校の時の体育祭のダンスの発表とかって男子はあまりやりたがらないじゃないですか。そういうのをすごく練習した記憶がありますね。ちゃんとする方がかっこいいという感覚がずっとあるのかもしれないです。
あとは…幼稚園の頃サッカーをやっていて、とても好きだったんですよ。だけど、4つ上の兄がソフトボールをやっていたんです。そのあと小学校3. 4年生の時に兄が地元の野球チームにスカウトされて野球を始めたんですね。それで兄は野球、僕はサッカーという感じになっていたんですけど、僕が小学校に行くタイミングで両方の送り迎えがきついっていう理由で野球に転向することになったんです(笑)それで結局僕は中学3年生まで野球を続けました。今でもサッカーをやっていたかったなっていう気持ちはありますね。
────小学校ではどのように過ごしていましたか?
小学校5年の終わりくらいの頃、兄が高校に上がるタイミングで堺から大阪府の池田市に引っ越しました。自分の人生のトラウマと言ったら言い過ぎですが、変なタイミングで転校したことで、小学校6年なのに友達も全然いないし、修学旅行とかもあったので…それから中学3年生くらいまでは、引っ込み思案になってしまいましたね。仲が良い子とはワイワイやっていたけど、内心では人付き合いが苦手になっていましたね。この人は自分のことをどう思っているんだろうって思うようになってしまって。
────中学校ではどのように過ごしていたのですか?
とにかく目立ちたくなかったですね、中学校の頃ってイベントの時にカメラマンが来て、その写真が廊下に張り出されて選びに行くみたいなのあったじゃないですか。あれ3年間で1枚も買ったことないんですよ。なんかそういうのが嫌だったんですよね。なんなら中学校と高校の卒業アルバムも開いたことがないです。高校の時は郵送でアルバムが送られてきたんですけど、そのままの状態で実家にありますね。
あとは…中学校2年の時に仲の良い友達がギターをやっていて、家に遊びに行って教えてもらうというのをよくしていました。それがきっかけで音楽にのめり込んでいきましたね。
────高校ではどのように過ごされていたのですか?
兄が行っていた高校と同じ学校に進学しましたね。話を聞いていて良いなと思って。
高校では絶対バンドをしようと思っていたんですよ。でも進学した学校には軽音楽部がなくて。なので帰宅部になって、友達とバンドを組んで練習していました。高校から20代前半くらいまではずっと音楽をしていましたね。
なので高校時代は、バンドマンに影響を受けていました。一番影響を受けたのは、ELLEGARDENのボーカルの細美武士さんです。ELLEGARDENは当時を代表するバンドで、人気絶頂だったんですけど、急に活動を休止したんですね。その時は泣き崩れてしまうくらいショックで。
ELLEGARDENは僕の青春の全てですね。細美武士さんがライブのMCやラジオで言っていたこと、インタビューに載っていたことに影響されて、自分の価値観が形成されたと思っています。
────卒業後、スターバックスで働かれていたと伺ったのですが、経緯を教えてください。
塾に行かせてもらっていたので、ちゃんと勉強はしていたんです。そんな中で、当時の塾の先生に、なんで大学受験をしないといけないのか、ということを聞いたんですね。そうしたら、4年間の自由を得るためだって言われたんですよ。もっともだなって思ったのと同時に、本当にその4年間の自由っているんだろうかって思ってしまって。そこで糸がプツンと切れてしまったというか。
それでプロになれるとは思っていなかったけど、音楽は好きだし、レコーディングエンジニアとかになって、音楽に関わる人間になりたいと思ったんです。
それで音楽の専門学校のオープンキャンパスに行ったりしていたんですけど、塾に行かせてもらっていたのにそれを棒に振ってしまうっていうのも申し訳なかったので、入学費くらいは自分で出そうと思ったんです。なので、高校卒業して1年間アルバイトをしてお金を貯めて、学校にいこうと考えたんですね。それで楽器屋で働くか、スターバックスで働こうと思ったんです。家の近くにあるスターバックスで働いている大人が輝いて見えて、大人たちをこんなに情熱的にさせるものは何なんだろうと思っていたので、興味があったんですよね。
それで両方に電話をかけたら、楽器屋さんに繋がらなくて、スタバには繋がったのでそのまま面接して採用という流れでした。
────専門学校には進まず、スターバックスの社員になることを決めたきっかけは何ですか?
働いている内に、社員を目指している人や、社員の方がとても情熱を持って取り組んでいる姿に感銘を受けたんですね。あと、接客やチームで何かをすることが自分の性格にあっているなということに気付いたこともあって、スターバックスの社員を目指すようになりました。音楽は趣味としてやり続けていこうと思って。
社員になったのは24歳の時ですね。アルバイトを4年間、5年目から社員になりました。社員になって4年半くらい勤めたって感じですね。約9年半スターバックスで働いていました。
────働いてみていかがでしたか?
最終学歴が高校になったから、ここから戦っていくにはどうしていかないといけないんだろうかということをずっと考えていましたね。なので出世欲がとても強かったです。最初は普通のスタッフとして働いて、人にものを教える立場になって、アルバイトのリーダーになって、社員になって…って感じだったんですけど、このステージをあげていくことに異常にこだわっていたように思います。今思えば嫌な人間ですよね。
でも何者かにならないといけないと思っていました。もがいていた期間だったなと思います。
────なぜデザイナーに転職されたのですか?
きっかけは些細なことなんです。ボーナスが出た時に新しいMacbook proが発売されて、購入したんですね。音楽のソフトを入れてギターの練習をしていたんですけど、それだけだと持て余す感じがあって。調べていたらデザインのソフトを見つけたんです。ただ僕は本当に絵が書けないので、デザインは自分がすることではないなと思っていたんです。でもデザインって面白そうだなって思って、ソフトを買って、本やYouTubeを見たりしながら、デザインをやり始めたのがきっかけですね。
その時は福井県のスターバックスにいたんですけど、福井県って自営業の方が多いんですね。それでイベントのチラシを作ったりとかして、喜んでもらうことがとても嬉しかったんです。それで、これを仕事にできる様になったら面白いかもと思い始めました。当時SASIがカフェとデザイン両方の採用をしていたので、会社でデザインはできなくても、隣にデザイナーの人がいるだろうから、何か学べたらいいなと思って応募しましたね。100%落ちると思っていましたけど(笑)でもとりあえず話をして、未経験からデザイナーになるためのアドバイスを貰おうくらいの気持ちでいたら、採用してもらえて、今に至るって感じですね。
────大きな決断を後押ししたものなどはありますか?
そうですね…転職する少し前に、スターバックスで昇進する話があったんです。それで、ここで昇進したらもう引き返せないなと思って。
話が少し戻るんですけど、僕は兄の都合で転校したり、ちょっと闇の時期があったりして。
僕が高校生の時に、仲は良くなったんですけど。
兄は優秀な人間なんです。勉強もできてスポーツもできて、身長も高くて、我慢強くて。自分は兄の出がらしのような人間だって思っていたんです。けど、SASIに転職するか悩んでいた時に、兄と2人で飲みに行ったんですね。それで兄に相談したら、俺はお前のことを尊敬してるって言われたんですよ。兄は仕事のこととか1ミリも考えたくないから、一生楽して暮らしていける職に就いた、と。でもお前はやりたいことを突き詰めてやってきて、そういうことができるのはすごいと思うって言われたんです。それを言われた時に、転職することを決意しました。
今ではいい関係性ですね。
────今後の展望・やりたいことなどはありますか?
SASIを価値あるものにしたいです。恩義を感じているし、清人さんに共感・共鳴する部分が多いから、価値を高めたいって思っています。なので、SASIから嫌われない限りは一生仲間でいたいなと思っています、そのために今は社員という形ですけど、今後は半身になりながら外で学んできたことをSASIで活かすみたいなことはしてみたいなと思いますね。
今31歳なんですけど、30代後半から40代になった頃には、経営者になりたいなとは思っていて。社会に深く影響を与えられるようなことがしたいと思っています、何をかっていうのは今はまだないんですけど。
社会に何も持たずに出てきた自分がここまでやって来れたのは、自分だけの力ではないと思っているので、次は自分がそういうことをしていけたらいいな思っています。
あとは…高校を卒業してから、よく1人遊びをしていたんですよ。ギターとかカメラとか。その中の1つが自転車なんです。それで今は、自転車の競技者になりたいと思っています。なので来年は大会に出ようと思っていて。来年は6月と11月にまとまった休みをいただきます。先に言っておきますね(笑)
どこまでいけるか分からないけど、競技者になりながら、自転車を通じた仲間やコミュニティを作っていきたいなというのが今後の展望の1つです。人生ってちゃんと繋がってるんだなってこのインタビューを受けて、改めて思います。
あの人って人生楽しそうって思われるような人になりたいですね。
大阪府堺市
大阪府の泉北地域にある政令指定都市。大阪平野のやや南を西流する大和川の左岸下流域に位置している。 府内では大阪市に次いで人口が多く、京阪神大都市圏における中心都市である。